タグ: 30代女性

  • 「親を嫌いになってはいけない」と思っていた

    「親を嫌いになってはいけない」と思っていた

    前回の続きです。

    暴君の父親、無自覚差別の母親。
    私は、ずっと両親のことが大嫌いでした。

    親としての義務

    でも、彼らは親としての義務を放置していた訳ではありません。
    住む家がなくて困るとか、生活に必要な物を買ってもらえないとか、そんなネグレクトみたいなことはありませんでした。
    奨学金も使ったものの大学まで出させてもらいました。

    「むしろ良い親じゃん」
    そう言われると、何も言えませんでした。
    確かに、私も親に甘えていました。実家で暮らしていましたし、アルバイト代は全部自分のために使っていました。
    でも、心の中にはずっとモヤモヤとした気持ちがありました。

    きっかけ

    3社目に入社後の私は、こんな人間でした。

    ・感情をコントロールできず、すぐ怒る
    ・思ったことをすぐ口に出してしまう
    ・責任転嫁したり、自分は正しいと思いがち
    ・誰も自分を分かってくれないと拗ねる
    ・人の話を聞けない

    お気づきかと思いますが、当時の私は、暴君である父親と同じ行動や考え方をしていました。まったくの無意識でした。

    気づかせてくれたのは、ある先輩の一言。

    「あなたは、もういい大人なんだから」

    ハッとしました。
    もう20歳はとっくに過ぎています。社会人歴だって、もう3年を過ぎています。世間一般から見たら立派な「大人」なのに、私がしていたことは・・・。

    当時を思い出すと、顔から火が出そうなくらい恥ずかしいのですが、あそこで私を見捨てずに指導いただいた上司・先輩方には感謝でいっぱいです。

    カウンセリング開始

    自分は何かおかしい。そのことに気づき、すぐに県内のカウンセラーを調べ、予約しました。

    親のこと、職場のこと、変わりたいと思ったこと、全部話しました。藁にも縋る思いでした。

    この時、私は話しながら泣き、過呼吸になっていました。でも、カウンセラーさんに「過呼吸になってるよ、ゆっくり息を吸って」と言われるまで、まったく自覚していませんでした。

    小さい子が、泣きすぎて「ゲホッ、オエッ」ってなっている、そんな感じです。泣いた時、こうなるのは私にとって「当たり前」でした。

    支離滅裂な私の話をカウンセラーの方は最後まで聞いてくれて、「辛かったね、今までよく頑張ったね」と優しく声をかけてくれました。号泣しました。
    そんな言葉をかけてもらったのは、初めてでした。

    両親が、大嫌いだった。

    自分の機嫌で当たり散らして、私を自分の思う通りにコントロールしてくるところも。
    私の話を最後まで聞かずに、自分たちの価値観を押し付けてくるところも。
    私の自尊心をズタズタに傷つけてくるところも。

    「良いお父さんだね」「良いお母さんだね」
    そう言われるたび「違う!!」と叫んでやりたかった。

    私は、今でもオンラインでカウンセリングを受けています。
    30年近く受け続けてきた心の傷は、簡単には治りません。

    かつての私と同じように「親を嫌いになってはいけない」と考えている人は、きっと多いはず。
    もし今、同じような思いで苦しんでいるなら、まずは自分の気持ちを大事にしてほしいです。

    同じ苦しみを抱えた人が、少しでも減りますように。

  • 毒になる親、まさにコレ。

    毒になる親、まさにコレ。

    『毒になる親』(スーザン・フォワード/著、玉置悟/訳)
    という本を、読んだことはありますか?
    私はこの本で、自分の親が毒親だと確信が持てました。

    今回は、少し重い話になりますが、私の両親について書こうと思います。

    我が家の王様

    私にとって、父親を表す言葉は・・・「暴君」。
    それ一択です。

    「俺が間違ってるって言ったら間違ってんだ!!」
    こんな言葉を、平然と言う人間でした。

    特徴としては、こんな感じです。

    ・気に入らなければ舌打ち、机を叩く、とにかく怒鳴る
    ・口癖1「お前は馬鹿だな」
    ・口癖2「誰が金を出してると思ってるんだ」
    ・口癖3「そんなことも分からないのか」
    ・2~3才の息子たちを、言うことを聞かないからと
     蹴り飛ばす
    ・2才の娘の絵本を、片付けないからとゴミ箱へ投げ
     捨てる

    子どもの頃、私たち兄弟はビクビクと父親の顔色を窺ってばかりでした。なぜなら、この不機嫌スイッチは、いつ入るか分からなかったから。
    いつ噴火するか分からない火口に、ずっと立たされているようなものです。心穏やかに過ごせる訳がありません。

    現在、大人になって見れば
    「自分の感情も制御できない、ただのクソガキ」
    としか思わないのですが、当時は本当にほんっとーに、この父親の存在がストレスでした。

    ※ちなみに『毒になる親』の中にチェックリストがあるのですが、9割当てはまっていて笑った記憶があります。

    影響

    そんな父親の元で育った私。
    「相手に合わせること」「顔色をうかがうこと」が癖になっていました。何か言ったら怒らせるかもしれない、そんな恐怖心が常に心の中にありました。
    結果として私は自分の意見を言うのが怖くなり、「誰かの言うことに従っておけばいい」という考えを持つようになり、周りに流されやすい性格が出来上がっていきました。

    唯一の感謝

    たった一つだけ感謝しているのは、金銭面。本当に、それだけです。(父親の役割ってそれだけで十分なんでしょうか?)

    ――次回は、そんな父親の隣で「何もしなかった」母親について書こうと思います。

  • 転職の話⑥3社目

    転職の話⑥3社目

    前回の続きです。

    サポステで、ゆっくり心とやる気を回復させていた私。
    ある日、ハローワークで私を担当してくれていた職員の方に声をかけられました。

    「前に私が担当して就職が決まった人がいるんだけど、来月で
     辞めることになったみたいでね。急いで次の人を探してるって
     聞いたから、もし良かったら応募してみる?」

    「え、じゃあお願いします」

    実はこの時の私、「まぁ、とりあえず行ってみるか」くらいの軽い気持ちだったんです。
    それがまさかの・・・。

    3社目、決定

    紹介の翌日には会社説明を聞くために本社へ赴き、さらにその
    3日後には面接。

    結果、紹介された日からわずか10日後に内定が決定しました。早っ。

    人事の方いわく、応募してくる人が全然いなかったらしく、逃がしてなるものか!という状況だったらしいです。
    (接客業で土日祝日も仕事、休みが少なめ、契約社員)

    サポステの職員の方に報告したら「え、もう決まったの!?」と大変驚かれました。

    前回の転職時は、転職先が決まらない焦りや「次はないかもしれない」という不安、流されやすい性格も災いして社長の無茶ぶりを受け入れてしまいました。
    結果はご存知の通り。

    今回は、初めての業種・職種。おまけに実家からかなり遠い勤務地。

    大丈夫かな・・・前回の二の舞にならないかな・・・と今更不安を覚えながらも、腹を括りました。

    「まぁ、やるしかないか!」

    ・・・そして気づけば、約10年。
    私は今もこの会社で働いています。

    変化・変化・変化

    入社をきっかけに、環境は目まぐるしく変わりました。

    初めての一人暮らし、結婚、離婚といった大きなステージの変化や、日々の仕事を通して自分を見つめ直す小さな気づき。

    最初から良いことばかりではなく、楽しい日もあれば苦しい日もありました。思うようにいかなくて悔しい思いをしたことも、失敗も数え切れないほどありました。

    「どうしたら良いの?」
    「なんで上手くできないんだろう」
    「また辞めちゃう・・・?」
    そんな考えが浮かんだことも一度や二度ではありません。

    が、周囲の人たちに支えられながら、ここまで続けることができました。

    この環境に巡り合えたことは、本当に幸運だったなと感じます。

    ちなみに、サポステの職員の方たちと

    「これ辞退できますかね・・・」
    「この書類、本当に決まった時に出すやつだから無理だと思う・・・」
    「Oh・・・」

    なんてやりとりをしていたのは、ここだけの話です笑

    人生、どう転ぶか分かりませんね。

    最後に

    長くなりましたが、転職のお話はこれで最後です。

    私のこれまでの経験が、同じような状況の方の参考になれば幸いです。

    ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
    次回は、転職の間に学んだことを振り返ってみたいと思います。

  • 転職の話⑤ひと休み

    転職の話⑤ひと休み

    前回の続きです。

    それまで見て見ぬふりをしてきた違和感、そして同僚や先輩の姿を見て、目を覚ました私は退職を決意。

    ありがたいことに、何事もなく無事に退職することができました。

    ちなみに、その会社では退職時に全員にお菓子を配るという謎行事がありました。私はヨックモックのクッキー詰め合わせを配ったのを覚えています笑

    「元気でね」
    笑顔で、暖かく声をかけてくれる方が大勢いました。

    部署で仲良くしてくれたパートさんたちは、送迎会まで開いてくれました。

    人には恵まれていました。
    ただ、その人材を社長が活かせていない、と感じていました。
    皆さんが、今は心穏やかに、心地良く働けていればいいなと心から思っています。(後から聞いた話ですが、産休制度ができて実際に産休→復帰した方も出たようです)

    学んだこと

    ・どんなに環境が整っていても、価値観が合わないと続かない

    ・優しさに甘えるだけでは、成長できない

    ・メインで動くよりサポートに回る方がやりやすい

    2度目の転職

    さて、2度目の無職となりました。

    今回は2年弱在籍しましたので、無事に失業手当を受け取ることができました。ありがたや・・・。

    職探しのために、再びハローワークへ通いました(学習してない)。

    と同時に、『地域若者サポートステーション(通称サポステ)』に通い始めました。

    ――地域若者サポートステーション(サポステ)は、「働く」への一歩を踏み出したい15歳から49歳までのお仕事をされていない方や就学中でない方たちとじっくりと向き合い、本人やご家族の方々だけでは解決が難しい「働き出す力」を引き出し、「職場定着するまで」を全面的にバックアップする厚生労働省委託の支援機関です。
    (公式HPより引用:https://saposute-net.mhlw.go.jp/

    たまたまチラシを見つけたのがきっかけでしたが、本当にラッキーでした。

    どんなところなんだろう・・・とドキドキしていましたが、とても暖かい雰囲気に包まれた場所で、 仕事の話だけでなく、人生相談にも乗ってくれました。
    「●ヶ月以内に就職を!」などと急かす雰囲気はまったくなく、私たち一人一人のペースに合わせて、話を聞いてくれました。
    焦らずゆっくりでいいよ、と言ってもらえたのが救いでした。

    通う人は、皆が自分と同じか似たような状況だったので、安心感が大きかったです。

    お喋りだけして帰る日もありました。
    「旅行先で使える英会話」のような講座が開催される日もありました。

    肝心の職探しは・・・あまりしていなかったのですが笑

    ・・・実はこのあと、大転機が訪れるのでした。

    次回へ続く――

  • 転職の話④2社目

    転職の話④2社目

    前回の続きです。

    とうとう営業を続けることができず、別の部署へ異動になった私。

    営業時代にズタボロになったメンタルは、新しい部署のパートの皆さんの優しさに救われ、徐々に復活していきました。

    新しい部署の仕事は、パソコン業務や倉庫作業がメイン。自分の性に合っていたようで楽しく仕事ができるようになりました。

    しかし、別の問題が浮上してきたのです。

    どんどん見つかる違和感

    ちなみに、私がいたのは本社。
    経理や営業事務の女性社員が多かったのですが、いわゆる「女同士のいざこざ」のようなものはほとんどなく(ゼロではなかったですが笑)、入社したての頃の私にも気さくに話しかけてくださる方ばかりでした。
    お昼時間は、楽しくお喋りをしながらお弁当を食べたのを今でも覚えています。

    しかし、話題が会社のことになると―――
    表情が曇る人、ため息を吐く人、困ったような笑顔を浮かべる人。
    「この会社は、ねぇ・・・」と、皆さん言い淀んでいました。

    入社したばかりの私は、前職があまりに酷かったので、
    (定時があって、土日休みで、人手も足りていそうなのに・・・
    何が不満なんだろう?)などと思っていました。

    しかし、年数が経つにつれ、少しずつ違和感が募っていきました。
    たとえば・・・

    ・タイムカードを切ってから仕事をするサービス残業が横行。
     社長と一部の役員だけさっさと帰る。

    ・サービス残業ならぬサービス出勤も何度もある。

    ・2つある部活動のどちらかに必ず加入しなければならず、毎週
     の活動日も強制参加。

    ・女性社員にだけ、全社員のお茶出し当番がある。

    ・新幹線で3~4時間かかる支店の社員とパートに、朝8時
     開始の決起集会に間に合うように「自腹」で来いと強要。

    ・退職者が後を絶たない。しかも、部長クラスや役員クラスまで
     辞めていく。

    ・有休制度が存在するとは聞くものの、取得した人を見たことは
     ない。

    ・産休育休制度なし。妊娠したら辞めるのが当然。

    ・忘年会では、社長がイッキを強要。

    などなど・・・

    そして退職へ

    少しずつ積み重なっていた違和感。
    令和の時代に見ると、うーん・・・と言いたくなる職場ですが、当時の私はこれが普通なのかと思っていました。

    ですが、そんな私の目を覚まさせる出来事がありました。

    ある日、仲の良かった同僚が「退職する」と話してくれました。
    以前から、この職場で働くのはつらいと漏らしていたので、限界だったんだろうな、と。私も経験者なので、その気持ちは痛いほど分かりました。
    「ゆっくり休みなよ」などと話をしました。

    彼女が退職届を出したのは、11月も終わりに近い頃。
    本来なら、2週間~1ヶ月後の12月下旬の退職予定だったはず。

    しかし、会社は、年末のボーナス支給直前に、有無を言わせず彼女を退職させたんです。

    その話を聞いた時、1つ思い出したことがあります。

    私が入社した時、退職が決まっていた営業の先輩の言葉。

    「この会社はね、辞める人間にすごく冷たいから」

    後から聞いた話ですが、その先輩は、退職を決めた途端に仕事を取り上げられ、会議への参加も許されず、まるで「さっさと出ていけ」と言わんばかりの扱いを受けていたそうです。

    どうして、こんなにも人を粗末に扱えるのか。
    心の底から怒りが沸きました。

    そして、決意しました。

    この会社にいても未来はない。辞めよう。

    在籍中の約2年間。退職者はおよそ30人にのぼりました。

    その中の一人に、私も加わることになりました。

    次回に続く―――

  • 転職の話③2社目

    転職の話③2社目

    前回の続きです。

    なんと最終面接で、まさかの応募要項変更。

    (いやいや・・・「笑顔が素敵だから営業」って何で!?褒め言葉
     ではあるけど!)

    と心の中でツッコミを入れながらも、ヘタレな私は
    「ほ、本当ですか~・・・?」としか言えませんでした泣

    この会社で初めての女性営業になってほしい、ゆくゆくは今後入社する女性社員のロールモデルになってほしい―――
    そんな社長の熱弁に押され、結局私は「営業」として入社することに。

    どうして、そう流されやすいの、私!なんで反論しない~!?
    (※この理由については、別の記事で書きます)

    この時反論するか、入社を止める選択をしていたら。
    もしかすると、未来は違っていたかもしれません。

    ダメダメな自分

    入社後、研修期間を経て、いよいよ営業スタート!
    したのですが・・・
    この後、私は、これでもかと自分のポンコツっぷりを思い知ることとなりました。

    商品知識が足りなくて、お客様の質問に答えられなかったり。
    値引き額をそのまま見積に反映してしまい、利益を飛ばしたり。
    確認をしないままお客様に電話をして、先輩に怒られたり。
    商品の積み忘れに気づかず外出して、先輩にお願いしてUターンするはめになったり。

    今思い返しても、結構な失敗を繰り返していました。
    穴があったら入りたい。

    当時は反省する余裕もなく、「何やってるの、私・・・」と、無力感だけが襲いかかってくる日々。

    そんなポンコツな私を、先輩方は「まぁ初めてだし、しょうがないよね」と大目に見てくれていたと思います。
    それなのに、私はその優しさにすら気づきませんでした。
    「よーし、ここから挽回して頑張るぞ!」と立ち上がる気力もありません。

    気づけば、私は自分で自分を追い詰めていきました。

    『会社の目の前で足が止まる』という経験をしたのも、この頃です。

    結果として、私は営業を続けることができず、別の部署へ異動となりました。
    たった4ヶ月のことでした。

    次回へ続く―――

  • 転職の話①1社目

    転職の話①1社目

    今日は、私の最初の就職について書きたいと思います。

    就活生の方、こんな大人になっちゃ駄目ですよ~。

    22歳、就職活動

    大学4年生、私は、接客業などを中心に活動を進め、最終的にフランチャイズで飲食店を経営している会社に就職が決まりました。

    もしもその時に戻れるなら、殴ってでも止めます。

    なんとなく食べることは好きだし、めんどくさい試験とか面接とかあんまりないし・・・と、あまりに安易な選択だったからです。
    (決して飲食業界そのものがダメと言ってる訳ではございません!)

    もちろん就活生全員が「こんなことをやりたい!」と強い意志を持っていた訳ではないと思います。
    でも、一生懸命に履歴書を書いて、SPIや面接対策をして、ゼミの先生やキャリアセンターの人に相談していました。

    けれど、私は

    「面倒くさい」

    ただそんな気持ちだけで、大事な大事な新卒カードを破り捨てたんです。そのことに気づかず、むしろ早めに就職先が決まったと浮かれていた当時の私。

    ・・・おバカだなぁ。この後、どうなるかも知らないで。

    蓋を開けてみれば

    入社4ヶ月目にして副店長に任命。そこから地獄の日々です。
    朝10時から夜2時までぶっ通し出勤が何日も続き、もはや何連勤目か数えるのを諦めるほど。シフト制だったので半日勤務もあり、丸1日の休みは月にたった1~2日だけ。
    他店舗の応援に行け、と言われ休みの日に自腹でガソリン代と高速代を払って向かったこともあります。
    ――最初の会社は、そんな有様でした。

    そしてある日の深夜、車で帰宅途中、ふっと意識が途切れ・・・目を開けると、目前にガードレールが!!
    とっさにハンドルを切り衝突は免れましたが、あのままだったらと思うと・・・ぞっとします。(山の上でしたから、崖下に真っ逆さまだったかもしれません)

    明らかに睡眠不足によるものでした。

    これがきっかけで私は決意します。

    辞めよう!このままじゃ、いつか本当に死ぬ!

    続きはまた次回――