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  • 心の回復薬

    心の回復薬

    毒親から離れたからすぐに回復したか、というとそうではありません。私は今でも定期的にカウンセリングを受けています。

    以前に比べればずいぶん楽にはなったものの、「怒り」の感情には今でも敏感に反応してしまいます。大きな物音には体が強張りますし、他人の顔色を窺う癖も抜けきっていません。
    「相手を怒らせる=この世の終わり」という強迫観念が頭の中に染みついてしまっているので厄介です。

    最初のカウンセリング

    最初は、「毒親 相談」や「悩み相談」などとPC検索をして、県内でカウンセリングを受けられるところがあると知り、行ってみたのがきっかけです。

    始めたころは週1回、少し楽になったタイミングで2週間に1回、月に1回と頻度を減らしながら、約1年半ほど通いました。

    60分7,000円だったので、なかなか痛い出費でした。

    (なんで自分があの親のせいでこんなに労力やお金を払わなければいけないんだ)と思ったことは一度や二度ではありません・・・とにかく楽になりたい、変わりたいという一心でした。

    私がカウンセリングを続けた理由は「ただ自分の話を聞いてもらえる」ことが一番でした。自分の意見を言っても否定されない、馬鹿にされない、会話泥棒をされない、でたらめなアドバイスをされない。

    どれだけ家族の中でまともな「会話」ができていなかったのかを痛感する日々でした。

    ちなみに、今はオンラインで相談できる「うららか相談室」というサービスを利用しています。(https://www.uraraka-soudan.com/

    資格を持ったカウンセラーさんが大勢登録されているので、自分の悩みに合った方を探すことができます。
    つらいと出かけるのも億劫になることが多いので、自宅で受けられるのはとてもありがたいです。

    注意点

    注意点を挙げるとすれば、人と人なので相性は絶対にあります。

    これまで10人以上の先生のカウンセラーの方に相談しましたが、先生の雰囲気、言い方(伝え方)、傾聴力、解決策・・・本当に千差万別です。

    なんか違うかも、と思ったら、どんどん別の人にお願いすることをおすすめします。(お財布と相談しながら)
    「この人になら何でも話せる」と感じる人が、きっと見つかります。

    正直に言えば、カウンセリングでの根本解決はなかなか難しいと思います。
    でも、確実に心が軽くなるきっかけになります。

    もし今、同じように悩んでいる人がいたら、ひとりで抱え込まなくていいんだよ、と伝えたいです。

  • 初めての一人暮らし

    初めての一人暮らし

    両親からの影響を再認識した私。

    少しでも2人から距離を取ろうと、一人暮らしを決意します。

    幸い、実家から職場までかなり距離があり、通勤に2時間近くかかっていたので、「通勤が大変だから」と自然な理由をつけることができました。

    ドキドキの物件探し

    初めての物件探し、右も左も分かりませんでしたが・・・ネットで調べたり、一人暮らしをしている友人に聞いたりして、少しずつ条件を絞っていきました。

    ちなみに、当時の条件はこんな感じでした。

    ・家賃5万円以下
    ・バストイレ別
    ・職場から徒歩15分以内(駅からは遠くてOK)
    ・2階以上

    たまたま良い不動産屋が見つかり、担当の方が親身になって話を聞いてくださったおかげで、条件にぴったりの物件を見つけることができました。しかもオートロック付き。

    まだ入居中の部屋だったので内見はできませんでしたが、実際に現地に足を運び、PCで室内の写真や設備など詳しく説明してもらい、納得の上で契約を決めました。

    ちなみにこの後、父親に「内見せずに決めるとか馬鹿か!」と詰められ(正直に言うんじゃなかった)、更には勝手に不動産屋に電話して火災保険を解約されたりしました。

    それを見た母親は「父さんは人事にいたりして、こういう手続き慣れてるからね!」となぜか誇らしげでしたが。

    インテリアも自分で揃えたかったのに、実家で使ってない物を押し付けられたり、勝手に好みじゃない物を買ってきたり・・・。

    余計なことするな、が本音でした。

    でも、ここで揉めて一人暮らしが無しになるのは避けたい、と思い必死に我慢しました。

    一人暮らし、天国

    いざ、一人暮らしが始まり・・・よく「1週間くらいでホームシックになった」などと聞きますが・・・私は、まったくなりませんでした笑

    快適この上ない。天国です。
    なんでもっと早く始めなかったのか、とつくづく思いました。

    誰にも邪魔されない、誰にも気を遣わない、すべてが自由。

    家事などの不安はありましたが、後悔はひとつもありませんでした。

    この一人暮らしが、私の人生を少しずつ取り戻すきっかけになったのだと思います。

    皆さんは、初めて一人暮らしした時って、どんな感じでしたか?

  • 「親を嫌いになってはいけない」と思っていた

    「親を嫌いになってはいけない」と思っていた

    前回の続きです。

    暴君の父親、無自覚差別の母親。
    私は、ずっと両親のことが大嫌いでした。

    親としての義務

    でも、彼らは親としての義務を放置していた訳ではありません。
    住む家がなくて困るとか、生活に必要な物を買ってもらえないとか、そんなネグレクトみたいなことはありませんでした。
    奨学金も使ったものの大学まで出させてもらいました。

    「むしろ良い親じゃん」
    そう言われると、何も言えませんでした。
    確かに、私も親に甘えていました。実家で暮らしていましたし、アルバイト代は全部自分のために使っていました。
    でも、心の中にはずっとモヤモヤとした気持ちがありました。

    きっかけ

    3社目に入社後の私は、こんな人間でした。

    ・感情をコントロールできず、すぐ怒る
    ・思ったことをすぐ口に出してしまう
    ・責任転嫁したり、自分は正しいと思いがち
    ・誰も自分を分かってくれないと拗ねる
    ・人の話を聞けない

    お気づきかと思いますが、当時の私は、暴君である父親と同じ行動や考え方をしていました。まったくの無意識でした。

    気づかせてくれたのは、ある先輩の一言。

    「あなたは、もういい大人なんだから」

    ハッとしました。
    もう20歳はとっくに過ぎています。社会人歴だって、もう3年を過ぎています。世間一般から見たら立派な「大人」なのに、私がしていたことは・・・。

    当時を思い出すと、顔から火が出そうなくらい恥ずかしいのですが、あそこで私を見捨てずに指導いただいた上司・先輩方には感謝でいっぱいです。

    カウンセリング開始

    自分は何かおかしい。そのことに気づき、すぐに県内のカウンセラーを調べ、予約しました。

    親のこと、職場のこと、変わりたいと思ったこと、全部話しました。藁にも縋る思いでした。

    この時、私は話しながら泣き、過呼吸になっていました。でも、カウンセラーさんに「過呼吸になってるよ、ゆっくり息を吸って」と言われるまで、まったく自覚していませんでした。

    小さい子が、泣きすぎて「ゲホッ、オエッ」ってなっている、そんな感じです。泣いた時、こうなるのは私にとって「当たり前」でした。

    支離滅裂な私の話をカウンセラーの方は最後まで聞いてくれて、「辛かったね、今までよく頑張ったね」と優しく声をかけてくれました。号泣しました。
    そんな言葉をかけてもらったのは、初めてでした。

    両親が、大嫌いだった。

    自分の機嫌で当たり散らして、私を自分の思う通りにコントロールしてくるところも。
    私の話を最後まで聞かずに、自分たちの価値観を押し付けてくるところも。
    私の自尊心をズタズタに傷つけてくるところも。

    「良いお父さんだね」「良いお母さんだね」
    そう言われるたび「違う!!」と叫んでやりたかった。

    私は、今でもオンラインでカウンセリングを受けています。
    30年近く受け続けてきた心の傷は、簡単には治りません。

    かつての私と同じように「親を嫌いになってはいけない」と考えている人は、きっと多いはず。
    もし今、同じような思いで苦しんでいるなら、まずは自分の気持ちを大事にしてほしいです。

    同じ苦しみを抱えた人が、少しでも減りますように。

  • 毒になる親、まさにコレ。②

    毒になる親、まさにコレ。②

    前回の続きです。

    暴君な父親の存在は、本当にストレスでしたが、問題は父親だけではありませんでした。

    無自覚差別の母親

    母親は、父親(夫)と結婚してからずっと専業主婦。
    養ってもらっている、という負い目があるのか、父親(夫)には逆らいませんでした。

    そして、母親自身も、無自覚な男尊女卑の考えを持っていました。

    私には弟が2人と妹が1人います。
    私と妹には家事の手伝いをさせて、弟たちには何もさせませんでした。(平成生まれなんですが、これって普通ですか?)

    あとは、こんなこともありました。

    ・私が洗濯物を干したら・・・「そのままじゃ皺になるでしょ?なんでそんなことも分からないかな」と大きく溜め息。
    弟が洗濯物を取り込んだら・・・「取り込んでくれたんだ、ありがとう~!」と大喜び。(ぐしゃっと床に直置き)

    ・私が仕事を辞めた時は・・・「まだ家にいるの?いい加減仕事探したら?」
    弟が仕事を辞めた時は・・・「あの子は繊細だから、しょうがないよね」

    些細なことかもしれませんが、この2つは10年以上経った今でも根に持っています笑

    (※ちなみに、父親は妹のことを目に入れても痛くないほど溺愛していたので論外)

    諦め

    弟の1人が反抗期を迎えていた時期のこと。
    父親は単身赴任中で家におらず、父親そっくりの暴君状態の弟を止められる人はいませんでした。

    私は毎日のように暴言と時々暴力も受けており、とても辛かったのですが・・・
    母親は「男の子ってそういうものだから」と。
    それどころか、私が弟にこんなことをされた、と伝えても、「面倒くさい」と言いたげな視線を向けるだけでした。

    ある日、私が耐えきれず、自室のベランダで泣いていた時。

    母親は呆れたような表情で、溜め息まじりに言いました。
    「もう、そんなことしたってしょうがないでしょ・・・」

    この瞬間、私は悟りました。
    「ああ、この人にとって、私の気持ちなんてどうでもいいんだ」

    同時に、「もう絶対に、この人に相談なんてしない」と心の中で決めました。

    機能不全家族

    一見、普通の、どこにでもある家庭でした。
    家族全員で出かける日も何回もありました。まったく話をしない訳ではなかったので、傍目には仲の良い家族に見えていたかと思います。

    でも、私はこの中で、少しずつ、気づかないうちに心を削られていました。

    私が「この家族(主に両親)はおかしい」とはっきり自覚したのは、社会人になってからでした。

    ――次回、私がトラウマを克服していくまでを書きたいと思います。

  • 毒になる親、まさにコレ。

    毒になる親、まさにコレ。

    『毒になる親』(スーザン・フォワード/著、玉置悟/訳)
    という本を、読んだことはありますか?
    私はこの本で、自分の親が毒親だと確信が持てました。

    今回は、少し重い話になりますが、私の両親について書こうと思います。

    我が家の王様

    私にとって、父親を表す言葉は・・・「暴君」。
    それ一択です。

    「俺が間違ってるって言ったら間違ってんだ!!」
    こんな言葉を、平然と言う人間でした。

    特徴としては、こんな感じです。

    ・気に入らなければ舌打ち、机を叩く、とにかく怒鳴る
    ・口癖1「お前は馬鹿だな」
    ・口癖2「誰が金を出してると思ってるんだ」
    ・口癖3「そんなことも分からないのか」
    ・2~3才の息子たちを、言うことを聞かないからと
     蹴り飛ばす
    ・2才の娘の絵本を、片付けないからとゴミ箱へ投げ
     捨てる

    子どもの頃、私たち兄弟はビクビクと父親の顔色を窺ってばかりでした。なぜなら、この不機嫌スイッチは、いつ入るか分からなかったから。
    いつ噴火するか分からない火口に、ずっと立たされているようなものです。心穏やかに過ごせる訳がありません。

    現在、大人になって見れば
    「自分の感情も制御できない、ただのクソガキ」
    としか思わないのですが、当時は本当にほんっとーに、この父親の存在がストレスでした。

    ※ちなみに『毒になる親』の中にチェックリストがあるのですが、9割当てはまっていて笑った記憶があります。

    影響

    そんな父親の元で育った私。
    「相手に合わせること」「顔色をうかがうこと」が癖になっていました。何か言ったら怒らせるかもしれない、そんな恐怖心が常に心の中にありました。
    結果として私は自分の意見を言うのが怖くなり、「誰かの言うことに従っておけばいい」という考えを持つようになり、周りに流されやすい性格が出来上がっていきました。

    唯一の感謝

    たった一つだけ感謝しているのは、金銭面。本当に、それだけです。(父親の役割ってそれだけで十分なんでしょうか?)

    ――次回は、そんな父親の隣で「何もしなかった」母親について書こうと思います。

  • 転職は、“自分を守る”ための一歩

    転職は、“自分を守る”ための一歩

    皆さんは、就職(転職)する時、どの部分を重視しますか?

    給与、年間休日、仕事内容、勤務地、働き方、福利厚生、社風、会社の規模 etc・・・

    どーしても譲れない部分ってありますよね。

    でも、実際に働いてみると、最初の希望が変わったりします。
    逆に優先順位が低かった部分が絶対条件になったり、逆に重要だと思っていた部分が意外とそうでもなかったり。

    私は大学を卒業後、2度の転職を経験しました。

    転職を2回と聞くと、マイナスなイメージを持たれる方もいるかもしれません。
    でも、あのまま残るという選択をしていた場合、そう遠くないうちに身体も心も限界を迎えていたと思います。

    少なくとも私にとって転職は「逃げ」ではなく、
    自分を守るための行動』であり『成長の一環』でした。

    就職する前の私にとって、働くこと=お金を得ること、くらいの認識でした。会社の「勤務地」と「仕事内容」くらいにしか目を向けていませんでした。

    1社目で学んだこと

    ・正社員としての責任の重さ
    大学時代のアルバイトでは、誰かが必ずフォローをしてくれていました。でも、社会人になって初めて、「自分が責任を取る」という現実に直面しました。

    マネジメントの難しさ
    初めて上の立場になり、年齢も性別も性格もバラバラの人たちとコミュニケーションをとることの難しさを痛感しました。

    ・行動することの大切さ
    それまでの私は、人に言われるがまま、流されやすい部分がありました。
    でも、今回初めて自分の意志で「辞める」と決めたことで、自分を守ることができました。

    この後から、「年間休日」や「働き方」も意識するようになりました。(ちょっとだけ「給与」も)
    あんな地獄の猛連勤は二度とごめんです・・・。

    2社目で学んだこと

    ・どんなに環境が整っていても、価値観が合わないと続かない
    休みも給与も安定していても、「何を大切にして働くか」はその人次第。

    ・優しさに甘えるだけでは、成長できない
    周りが助けてくれることの有難さと同時に、自分が成長できなくなることの怖さにも気づきました。

    ・メインで動くよりサポートに回る方がやりやすい
    営業と事務の両方を経験したことで、自分はメインとして前に出て動くことよりも、誰かのフォローに回った時の方が力を発揮できると気づきました。

    ここは土日休みで比較的安定した職場でした。でも、社長のやり方、「社風」や「仕事内容」が合いませんでした。

    結果として、私は1社目で「働く厳しさ」を、2社目で「自分の強みと限界」を知りました。
    環境に流されるのではなく、自分の軸を持って選ぶことの大切さについて身をもって知りました。

    「どう働きたいのか」
    今でもまだ考え中の部分はありますが、転職によって得た学びは大きかったです。

  • 転職の話⑥3社目

    転職の話⑥3社目

    前回の続きです。

    サポステで、ゆっくり心とやる気を回復させていた私。
    ある日、ハローワークで私を担当してくれていた職員の方に声をかけられました。

    「前に私が担当して就職が決まった人がいるんだけど、来月で
     辞めることになったみたいでね。急いで次の人を探してるって
     聞いたから、もし良かったら応募してみる?」

    「え、じゃあお願いします」

    実はこの時の私、「まぁ、とりあえず行ってみるか」くらいの軽い気持ちだったんです。
    それがまさかの・・・。

    3社目、決定

    紹介の翌日には会社説明を聞くために本社へ赴き、さらにその
    3日後には面接。

    結果、紹介された日からわずか10日後に内定が決定しました。早っ。

    人事の方いわく、応募してくる人が全然いなかったらしく、逃がしてなるものか!という状況だったらしいです。
    (接客業で土日祝日も仕事、休みが少なめ、契約社員)

    サポステの職員の方に報告したら「え、もう決まったの!?」と大変驚かれました。

    前回の転職時は、転職先が決まらない焦りや「次はないかもしれない」という不安、流されやすい性格も災いして社長の無茶ぶりを受け入れてしまいました。
    結果はご存知の通り。

    今回は、初めての業種・職種。おまけに実家からかなり遠い勤務地。

    大丈夫かな・・・前回の二の舞にならないかな・・・と今更不安を覚えながらも、腹を括りました。

    「まぁ、やるしかないか!」

    ・・・そして気づけば、約10年。
    私は今もこの会社で働いています。

    変化・変化・変化

    入社をきっかけに、環境は目まぐるしく変わりました。

    初めての一人暮らし、結婚、離婚といった大きなステージの変化や、日々の仕事を通して自分を見つめ直す小さな気づき。

    最初から良いことばかりではなく、楽しい日もあれば苦しい日もありました。思うようにいかなくて悔しい思いをしたことも、失敗も数え切れないほどありました。

    「どうしたら良いの?」
    「なんで上手くできないんだろう」
    「また辞めちゃう・・・?」
    そんな考えが浮かんだことも一度や二度ではありません。

    が、周囲の人たちに支えられながら、ここまで続けることができました。

    この環境に巡り合えたことは、本当に幸運だったなと感じます。

    ちなみに、サポステの職員の方たちと

    「これ辞退できますかね・・・」
    「この書類、本当に決まった時に出すやつだから無理だと思う・・・」
    「Oh・・・」

    なんてやりとりをしていたのは、ここだけの話です笑

    人生、どう転ぶか分かりませんね。

    最後に

    長くなりましたが、転職のお話はこれで最後です。

    私のこれまでの経験が、同じような状況の方の参考になれば幸いです。

    ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
    次回は、転職の間に学んだことを振り返ってみたいと思います。

  • 転職の話⑤ひと休み

    転職の話⑤ひと休み

    前回の続きです。

    それまで見て見ぬふりをしてきた違和感、そして同僚や先輩の姿を見て、目を覚ました私は退職を決意。

    ありがたいことに、何事もなく無事に退職することができました。

    ちなみに、その会社では退職時に全員にお菓子を配るという謎行事がありました。私はヨックモックのクッキー詰め合わせを配ったのを覚えています笑

    「元気でね」
    笑顔で、暖かく声をかけてくれる方が大勢いました。

    部署で仲良くしてくれたパートさんたちは、送迎会まで開いてくれました。

    人には恵まれていました。
    ただ、その人材を社長が活かせていない、と感じていました。
    皆さんが、今は心穏やかに、心地良く働けていればいいなと心から思っています。(後から聞いた話ですが、産休制度ができて実際に産休→復帰した方も出たようです)

    学んだこと

    ・どんなに環境が整っていても、価値観が合わないと続かない

    ・優しさに甘えるだけでは、成長できない

    ・メインで動くよりサポートに回る方がやりやすい

    2度目の転職

    さて、2度目の無職となりました。

    今回は2年弱在籍しましたので、無事に失業手当を受け取ることができました。ありがたや・・・。

    職探しのために、再びハローワークへ通いました(学習してない)。

    と同時に、『地域若者サポートステーション(通称サポステ)』に通い始めました。

    ――地域若者サポートステーション(サポステ)は、「働く」への一歩を踏み出したい15歳から49歳までのお仕事をされていない方や就学中でない方たちとじっくりと向き合い、本人やご家族の方々だけでは解決が難しい「働き出す力」を引き出し、「職場定着するまで」を全面的にバックアップする厚生労働省委託の支援機関です。
    (公式HPより引用:https://saposute-net.mhlw.go.jp/

    たまたまチラシを見つけたのがきっかけでしたが、本当にラッキーでした。

    どんなところなんだろう・・・とドキドキしていましたが、とても暖かい雰囲気に包まれた場所で、 仕事の話だけでなく、人生相談にも乗ってくれました。
    「●ヶ月以内に就職を!」などと急かす雰囲気はまったくなく、私たち一人一人のペースに合わせて、話を聞いてくれました。
    焦らずゆっくりでいいよ、と言ってもらえたのが救いでした。

    通う人は、皆が自分と同じか似たような状況だったので、安心感が大きかったです。

    お喋りだけして帰る日もありました。
    「旅行先で使える英会話」のような講座が開催される日もありました。

    肝心の職探しは・・・あまりしていなかったのですが笑

    ・・・実はこのあと、大転機が訪れるのでした。

    次回へ続く――

  • 転職の話④2社目

    転職の話④2社目

    前回の続きです。

    とうとう営業を続けることができず、別の部署へ異動になった私。

    営業時代にズタボロになったメンタルは、新しい部署のパートの皆さんの優しさに救われ、徐々に復活していきました。

    新しい部署の仕事は、パソコン業務や倉庫作業がメイン。自分の性に合っていたようで楽しく仕事ができるようになりました。

    しかし、別の問題が浮上してきたのです。

    どんどん見つかる違和感

    ちなみに、私がいたのは本社。
    経理や営業事務の女性社員が多かったのですが、いわゆる「女同士のいざこざ」のようなものはほとんどなく(ゼロではなかったですが笑)、入社したての頃の私にも気さくに話しかけてくださる方ばかりでした。
    お昼時間は、楽しくお喋りをしながらお弁当を食べたのを今でも覚えています。

    しかし、話題が会社のことになると―――
    表情が曇る人、ため息を吐く人、困ったような笑顔を浮かべる人。
    「この会社は、ねぇ・・・」と、皆さん言い淀んでいました。

    入社したばかりの私は、前職があまりに酷かったので、
    (定時があって、土日休みで、人手も足りていそうなのに・・・
    何が不満なんだろう?)などと思っていました。

    しかし、年数が経つにつれ、少しずつ違和感が募っていきました。
    たとえば・・・

    ・タイムカードを切ってから仕事をするサービス残業が横行。
     社長と一部の役員だけさっさと帰る。

    ・サービス残業ならぬサービス出勤も何度もある。

    ・2つある部活動のどちらかに必ず加入しなければならず、毎週
     の活動日も強制参加。

    ・女性社員にだけ、全社員のお茶出し当番がある。

    ・新幹線で3~4時間かかる支店の社員とパートに、朝8時
     開始の決起集会に間に合うように「自腹」で来いと強要。

    ・退職者が後を絶たない。しかも、部長クラスや役員クラスまで
     辞めていく。

    ・有休制度が存在するとは聞くものの、取得した人を見たことは
     ない。

    ・産休育休制度なし。妊娠したら辞めるのが当然。

    ・忘年会では、社長がイッキを強要。

    などなど・・・

    そして退職へ

    少しずつ積み重なっていた違和感。
    令和の時代に見ると、うーん・・・と言いたくなる職場ですが、当時の私はこれが普通なのかと思っていました。

    ですが、そんな私の目を覚まさせる出来事がありました。

    ある日、仲の良かった同僚が「退職する」と話してくれました。
    以前から、この職場で働くのはつらいと漏らしていたので、限界だったんだろうな、と。私も経験者なので、その気持ちは痛いほど分かりました。
    「ゆっくり休みなよ」などと話をしました。

    彼女が退職届を出したのは、11月も終わりに近い頃。
    本来なら、2週間~1ヶ月後の12月下旬の退職予定だったはず。

    しかし、会社は、年末のボーナス支給直前に、有無を言わせず彼女を退職させたんです。

    その話を聞いた時、1つ思い出したことがあります。

    私が入社した時、退職が決まっていた営業の先輩の言葉。

    「この会社はね、辞める人間にすごく冷たいから」

    後から聞いた話ですが、その先輩は、退職を決めた途端に仕事を取り上げられ、会議への参加も許されず、まるで「さっさと出ていけ」と言わんばかりの扱いを受けていたそうです。

    どうして、こんなにも人を粗末に扱えるのか。
    心の底から怒りが沸きました。

    そして、決意しました。

    この会社にいても未来はない。辞めよう。

    在籍中の約2年間。退職者はおよそ30人にのぼりました。

    その中の一人に、私も加わることになりました。

    次回に続く―――

  • 転職の話③2社目

    転職の話③2社目

    前回の続きです。

    なんと最終面接で、まさかの応募要項変更。

    (いやいや・・・「笑顔が素敵だから営業」って何で!?褒め言葉
     ではあるけど!)

    と心の中でツッコミを入れながらも、ヘタレな私は
    「ほ、本当ですか~・・・?」としか言えませんでした泣

    この会社で初めての女性営業になってほしい、ゆくゆくは今後入社する女性社員のロールモデルになってほしい―――
    そんな社長の熱弁に押され、結局私は「営業」として入社することに。

    どうして、そう流されやすいの、私!なんで反論しない~!?
    (※この理由については、別の記事で書きます)

    この時反論するか、入社を止める選択をしていたら。
    もしかすると、未来は違っていたかもしれません。

    ダメダメな自分

    入社後、研修期間を経て、いよいよ営業スタート!
    したのですが・・・
    この後、私は、これでもかと自分のポンコツっぷりを思い知ることとなりました。

    商品知識が足りなくて、お客様の質問に答えられなかったり。
    値引き額をそのまま見積に反映してしまい、利益を飛ばしたり。
    確認をしないままお客様に電話をして、先輩に怒られたり。
    商品の積み忘れに気づかず外出して、先輩にお願いしてUターンするはめになったり。

    今思い返しても、結構な失敗を繰り返していました。
    穴があったら入りたい。

    当時は反省する余裕もなく、「何やってるの、私・・・」と、無力感だけが襲いかかってくる日々。

    そんなポンコツな私を、先輩方は「まぁ初めてだし、しょうがないよね」と大目に見てくれていたと思います。
    それなのに、私はその優しさにすら気づきませんでした。
    「よーし、ここから挽回して頑張るぞ!」と立ち上がる気力もありません。

    気づけば、私は自分で自分を追い詰めていきました。

    『会社の目の前で足が止まる』という経験をしたのも、この頃です。

    結果として、私は営業を続けることができず、別の部署へ異動となりました。
    たった4ヶ月のことでした。

    次回へ続く―――