転職の話④2社目

前回の続きです。

とうとう営業を続けることができず、別の部署へ異動になった私。

営業時代にズタボロになったメンタルは、新しい部署のパートの皆さんの優しさに救われ、徐々に復活していきました。

新しい部署の仕事は、パソコン業務や倉庫作業がメイン。自分の性に合っていたようで楽しく仕事ができるようになりました。

しかし、別の問題が浮上してきたのです。

どんどん見つかる違和感

ちなみに、私がいたのは本社。
経理や営業事務の女性社員が多かったのですが、いわゆる「女同士のいざこざ」のようなものはほとんどなく(ゼロではなかったですが笑)、入社したての頃の私にも気さくに話しかけてくださる方ばかりでした。
お昼時間は、楽しくお喋りをしながらお弁当を食べたのを今でも覚えています。

しかし、話題が会社のことになると―――
表情が曇る人、ため息を吐く人、困ったような笑顔を浮かべる人。
「この会社は、ねぇ・・・」と、皆さん言い淀んでいました。

入社したばかりの私は、前職があまりに酷かったので、
(定時があって、土日休みで、人手も足りていそうなのに・・・
何が不満なんだろう?)などと思っていました。

しかし、年数が経つにつれ、少しずつ違和感が募っていきました。
たとえば・・・

・タイムカードを切ってから仕事をするサービス残業が横行。
 社長と一部の役員だけさっさと帰る。

・サービス残業ならぬサービス出勤も何度もある。

・2つある部活動のどちらかに必ず加入しなければならず、毎週
 の活動日も強制参加。

・女性社員にだけ、全社員のお茶出し当番がある。

・新幹線で3~4時間かかる支店の社員とパートに、朝8時
 開始の決起集会に間に合うように「自腹」で来いと強要。

・退職者が後を絶たない。しかも、部長クラスや役員クラスまで
 辞めていく。

・有休制度が存在するとは聞くものの、取得した人を見たことは
 ない。

・産休育休制度なし。妊娠したら辞めるのが当然。

・忘年会では、社長がイッキを強要。

などなど・・・

そして退職へ

少しずつ積み重なっていた違和感。
令和の時代に見ると、うーん・・・と言いたくなる職場ですが、当時の私はこれが普通なのかと思っていました。

ですが、そんな私の目を覚まさせる出来事がありました。

ある日、仲の良かった同僚が「退職する」と話してくれました。
以前から、この職場で働くのはつらいと漏らしていたので、限界だったんだろうな、と。私も経験者なので、その気持ちは痛いほど分かりました。
「ゆっくり休みなよ」などと話をしました。

彼女が退職届を出したのは、11月も終わりに近い頃。
本来なら、2週間~1ヶ月後の12月下旬の退職予定だったはず。

しかし、会社は、年末のボーナス支給直前に、有無を言わせず彼女を退職させたんです。

その話を聞いた時、1つ思い出したことがあります。

私が入社した時、退職が決まっていた営業の先輩の言葉。

「この会社はね、辞める人間にすごく冷たいから」

後から聞いた話ですが、その先輩は、退職を決めた途端に仕事を取り上げられ、会議への参加も許されず、まるで「さっさと出ていけ」と言わんばかりの扱いを受けていたそうです。

どうして、こんなにも人を粗末に扱えるのか。
心の底から怒りが沸きました。

そして、決意しました。

この会社にいても未来はない。辞めよう。

在籍中の約2年間。退職者はおよそ30人にのぼりました。

その中の一人に、私も加わることになりました。

次回に続く―――

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