毒になる親、まさにコレ。②

前回の続きです。

暴君な父親の存在は、本当にストレスでしたが、問題は父親だけではありませんでした。

無自覚差別の母親

母親は、父親(夫)と結婚してからずっと専業主婦。
養ってもらっている、という負い目があるのか、父親(夫)には逆らいませんでした。

そして、母親自身も、無自覚な男尊女卑の考えを持っていました。

私には弟が2人と妹が1人います。
私と妹には家事の手伝いをさせて、弟たちには何もさせませんでした。(平成生まれなんですが、これって普通ですか?)

あとは、こんなこともありました。

・私が洗濯物を干したら・・・「そのままじゃ皺になるでしょ?なんでそんなことも分からないかな」と大きく溜め息。
弟が洗濯物を取り込んだら・・・「取り込んでくれたんだ、ありがとう~!」と大喜び。(ぐしゃっと床に直置き)

・私が仕事を辞めた時は・・・「まだ家にいるの?いい加減仕事探したら?」
弟が仕事を辞めた時は・・・「あの子は繊細だから、しょうがないよね」

些細なことかもしれませんが、この2つは10年以上経った今でも根に持っています笑

(※ちなみに、父親は妹のことを目に入れても痛くないほど溺愛していたので論外)

諦め

弟の1人が反抗期を迎えていた時期のこと。
父親は単身赴任中で家におらず、父親そっくりの暴君状態の弟を止められる人はいませんでした。

私は毎日のように暴言と時々暴力も受けており、とても辛かったのですが・・・
母親は「男の子ってそういうものだから」と。
それどころか、私が弟にこんなことをされた、と伝えても、「面倒くさい」と言いたげな視線を向けるだけでした。

ある日、私が耐えきれず、自室のベランダで泣いていた時。

母親は呆れたような表情で、溜め息まじりに言いました。
「もう、そんなことしたってしょうがないでしょ・・・」

この瞬間、私は悟りました。
「ああ、この人にとって、私の気持ちなんてどうでもいいんだ」

同時に、「もう絶対に、この人に相談なんてしない」と心の中で決めました。

機能不全家族

一見、普通の、どこにでもある家庭でした。
家族全員で出かける日も何回もありました。まったく話をしない訳ではなかったので、傍目には仲の良い家族に見えていたかと思います。

でも、私はこの中で、少しずつ、気づかないうちに心を削られていました。

私が「この家族(主に両親)はおかしい」とはっきり自覚したのは、社会人になってからでした。

――次回、私がトラウマを克服していくまでを書きたいと思います。

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