「悪意はない」のが一番つらい。無自覚な母に育てられた私の話
父親だけが問題じゃなかった
前回の記事で、暴君のような父親について書きました。
でも、本当に厄介だったのは「父親+母親」という組み合わせだったんです。
父親のように分かりやすく怒鳴り散らすタイプの人間は、ある意味シンプルです。
怖いけど、何を嫌がっているのか外から見えるからです。
でも、母親はそうではありませんでした。
怒鳴り声も暴力もない。
生活の面倒をすべて見てくれるし、手先が器用で料理や裁縫などが得意でした。
だからこそ、母親の何が自分を苦しめているのか、長い間言語化できませんでした。
結論から言えば、母親は 「無自覚な差別と無関心」 の人だったんです。
そして、その“無自覚”こそが、いちばん質が悪かった。
無自覚な男尊女卑の中で、私と妹だけが「家事要員」
母親は結婚後ずっと専業主婦として家にいました。
「養ってもらっている」という負い目があったのか、父親には逆らわず、
父親の言うことは絶対でした。
「父親が黒と言えば、白いものも黒になる」のだと、
他のママ友の前でそう言っていたのを今でも覚えています。
その価値観は、家庭内のルールでした。
我が家は兄弟4人。
私、弟2人、妹の構成なのですが、その差は明確でした。
私と妹には家事の手伝いが当たり前に課され、
弟たちは何もしなくて良かった。
弟たちはなんでしないのか、と聞いた時には、
「女の子なんだから家事ができないとダメでしょ」と言われました。
平成生まれの一般家庭で本当にこんなことある?
と思うかもしれませんが、事実です。
そして、これが地味にしんどい。
ちなみに、
私が洗濯物を干した時は「皺になるでしょ?なんでそんなことも分からないの?」と溜め息まじりのダメ出しをされました。
でも弟が洗濯物を取り込んだ時は「ありがとう〜すっごく助かる!」と満面の笑み。(ぐちゃっと全部まとめて床に直置きです)
この扱いの差は、10年以上経った今でも根に持っています。
本人は悪気ゼロ。
むしろ普通のことだと思っているんです。
この無自覚さが、じわじわと私の自己肯定感を侵食していきました。
「話しても無駄」という諦めが、私の中に根づいた
母親は「話を聞く」ことが苦手でした。
私が何か相談すると、
父親はすぐに的外れなアドバイスをねじ込んでくるタイプ。
母親は、私の話を途中で遮り、気づけば全然関係ない自分の話を始めているタイプ。
話しかけても、ちゃんと聞いてもらえない。
だから私は、
「どうせ私の話は聞かれない」
という思い込みを、知らないうちに形成していました。
同時に、話を聞いてもらえなかった反動で、
「誰かに聞いてほしい」という渇望だけが強く残る。
おかげで、いまだに人と話すことに苦手意識が強いです。
会話が苦手というより、
「話しても受け止めてもらえないのでは?」という恐怖が残っているんです。
反抗期の弟と、傍観者の母
父が単身赴任で家にいなかった時期。
その頃、二人目の弟が激しい反抗期を迎え、父そっくりのミニ暴君になりました。
怒鳴る、物に当たる、暴言を浴びせるのは当たり前。
とにかく毎日が嵐のようでした。
今でも鮮明に覚えています。
少しでも気に障れば、
「馬鹿」「ブス」「ゴミ」「デブ」などと罵られたこと。
ミカンを投げつけられて白い服を台無しにされたこと。
ベルトで叩かれ、背中にみみずばれの痕ができたこと。
遊びにきていた私の友達を叩いたこと。
その時期の母親は、
私や妹が被害を訴えても、助けを求めても、
「男の子ってそういうものだし、今だけだから」
という決まり文句と、面倒くさそうな視線を向けるだけでした。
ある日、ついに耐えきれず、
自室のベランダで泣いていた時がありました。
その時の私に対し、母親が言った言葉は
「もう、そんなことしたってしょうがないでしょ…」でした。
呆れたような、冷めた声音で、ため息まじりに。
この瞬間、私ははっきり悟りました。
「ああ、この人にとって、私の気持ちはどうでもいいんだ」
そして同時に、決意しました。
「もう二度と、この人に相談なんてしない」
無自覚であることが、いちばん厄介だった
母の行動で一番つらかったのは、「悪意があってやっているわけではない」という点でした。
- 娘には家事をさせるのが当たり前
- 弟を甘やかすのは普通
- 子どもの話を聞かず、自分の話にすり替えるのも無意識
- 姉弟間の不公平に気づかない
それらすべてが母の中では当たり前のことであって、
自分が誰かを傷つけているという自覚がまったくない。
だからこそタチが悪いんです。
悪気がないから、改善するきっかけもない。
注意しても響かない。
問題と思っていないから変わらない。
気づけば、子どもの側だけが消耗し、
「私がおかしいのかな?」という自責だけが残っていく状態でした。
コミュニケーションの壊れた家庭で、感情の扱い方を学べなかった
母親自身も、父親とのコミュニケーションが極端に苦手でした。
弟がある日ぽつりと言ったのは。
「あの2人はコミュニケーションが下手すぎる」
本当に、その通りでした。
家庭というのは、子どもが最初に体験する「人間関係のモデル」です。
そこで健全な対話が行われていないと、子どもは感情の扱い方を学べないんです。
私の場合は、
- 怒り → 避ける
- 悲しみ → 押し殺す
- 相談 → 無駄
- 自分の話 → 価値がない
- 誰かに頼る → 裏切られる
というパターンが刷り込まれました。
今思えば、私が人間関係でつまずきやすかったのも当然です。
仲良さそうに見える表面だけでは、本質は分からない
うちは、一見すると普通の家庭でした。
みんなで出かけることもあったし、
家の中が会話ゼロというわけでもありません。
外から見れば「仲良し」に見えていたと思います。
でも、その裏側では、
誰も感情に寄り添わず、
誰も誰かを理解しようとせず、
それぞれが勝手に勝手な方向へ怒ったり悲しんだりしていました。
私が
「この家はおかしい」
と明確に自覚したのは、社会人になってからです。
まとめ: 母親から受けた影響は、“見えない傷”として残った
暴力的な父親に比べると、
母の存在は“分かりにくい害”として働いていました。
直接殴られるわけではない。
怒鳴り散らすわけでもない。
でも、
私の話は聞かれず、感情は軽視され、弟との扱いには明確な差があり、助けを求めても拒絶される。
その積み重ねが、私の内側に深い傷を残しました。
- 自分の気持ちを伝えるのが怖い
- 相手の顔色をうかがうクセ
- 「どうせ聞いてもらえない」という思い込み
- 承認欲求の強さ
- 人間関係の疲れやすさ
母との関係は、これらの根っこに必ず絡んでいます。
次回の記事では、
こうした家庭環境が、私の性格や人生の選択にどう影響したのか
についてまとめていくつもりです。
